47歳、子宮内膜異型増殖症【9】卵巣を摘出するか、否か

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はじめに

このブログに記録用として記載する内容は、あくまでも私個人の経験です。気がかりなことはかかりつけの病院でご確認ください。参考程度にとどめてください、微力ですみません。

これを書いている今は、子宮摘出手術の入院日が来るのを待っているタイミングです。結論から言えば、卵巣は摘出することになるだろうと思っている。問題はどうしたらそれを自分に納得させられるのか…。

この記事の内容は…

更年期のおさらい

卵巣を残すかどうかの大きな違いは、更年期がすぐにくるか、自然にくるかの違いだ。強制的にきてしまった場合の方が若干、重めの傾向がある…と言ったのはネット情報だったかもしれない…。

更年期の定義は、閉経前後の10年。なので閉経後で考えると5年くらい。閉経はだいたい50歳くらい。

となると、47歳の私の場合、3年程度前倒しになる、と考えられる。3年…。

前回の記事の中で、医師にした質問に書いたように、もし終わりのない更年期症状に悩まされると仮定した場合、3年長く苦しむことになるかも?と、言えるかも?

医師の見解

これまで、卵巣について意見の聞けた医師は3名(ABC医師と仮定する)。オペ外来を担当したC医師は明確な提案を避けていたけれど、うち二人は取る方を推奨していた。掻爬した組織にがん細胞が少しでもあったら卵巣は取る、と言い切ったA医師。執刀医のB医師はどうもがんの専門医らしいが、その人も、どちらと言われればとることを勧めるスタンスだった。

C医師いわく、確定的な治療法があるなら、最初からそれを勧めている。選択できるということは絶対的な治療法がないってことだ。取っても取らなくても、メリット・デメリットはある。がん患者を多くみてきている医師ほど、それでつらい思いをしてきている人を多く見ている分、卵巣摘出をすすめる可能性はあると思う。がんの不安を優先するなら、摘出一択。

B医師は、とても冷静に、患者に寄り添う姿勢のある人で、でも、聞かれないことは多く語ってくれない。C医師は、言質をとられないように計算しつつ、それでも多くの可能性?情報を示してくれる人で、恐ろしく頭の良さそうな人に思えた。それゆえに、患者側に共感はしないタイプの人だったけれど、感情を排除して考える機会をくれたように思う。(A医師とはほとんど話をしなかったので、割愛。)

私にとって一番いやなこと

端的に言って、摘出することが、一番いやだ。何を?子宮も、卵管も、卵巣も、全部。今あるものを失うのがいやだ。奪われるのが許せない。この感情がどうにも厄介だ。

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それと同じくらい、婦人科にかかるのが…いや。

もう少し細かくみてみたとき、卵管は卵を運ぶ機関なので、卵巣か子宮がないのであれば、一緒になくなるのは仕方なく、納得はむずかしくない。

子宮は、すでにがん化が始まっているのとイコールの状態と言えるので、まだあきらめがつく。多嚢胞性卵巣症候群という排卵障害がある以上、もともと体がんになる確率は高かった上に、わがままボディを育てて肥満化していたのは己の責任だ。

でもな…多嚢胞性卵巣症候群の診断を受けた時、体がんになる確率が高いから、肥満に気をつけて、定期的な検査を受けるように、みたいな指導してほしかったよね。…渡された紙に書いてあったのかな。妊活から卒業した時、もう見たくないからと書類を全部捨てちゃってるし、遠い未来のことなんて、当時の私には余裕がなくて入ってこなかっただろうけど。

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多嚢胞性卵巣症候群の診断は、妊活中のAMH検査(卵巣予備能検査)で受けました。

そうして問題は、卵巣に帰着する

少なくとも現状、MRIでもCTでも、卵巣に問題はない。あくまでも卵巣を摘出するのは、将来的に可能性として卵巣がんになる確率をなくすためのものだ。

ちなみに、体がんと卵巣がんに関係性はなく、卵巣がんになる確率は一般の人と変わらないそうだ。

一般女性が生涯で卵巣がんを発症する確率は約1%

国立がん研究センター 東病院|卵巣がんの治療について

この1%の確率のためだけに、卵巣をとるのか?まだ何の問題もないものを、もしかしたらという理由だけで失くしてしまっていいのだろうか。

変な言い方だけど、子宮に問題があるうちは、経膣超音波で卵巣を一緒に観察することができる。でも、子宮がなくなれば、生理や不正出血などがなくなるわけで、定期的な受診は実質必要なくなり、卵巣のトラブルに気づくことはむずかしくなる。沈黙の臓器だから。

なので、卵巣を残した場合、更年期が来るのを自然な状態にできるかもしれないけれど、少なくとも年1回の定期検診は続けていかないといけない。卵巣がんの予防のために。沈黙の臓器だけに、ステージが進んでしまってから発見されることが多いのも特徴といえるらしい。そのとき、卵巣をとるだけで事足りるかどうかは、わからない。

年齢をずらして想像してみる

30歳のタイミングだったら、残したかなと思う。子宮も取らない方向ですすめたんじゃないかな。

40歳のタイミングで決断を迫られていたら、卵巣を残していただろうか。すでに更年期を迎えたタイミングだったら、卵巣摘出に迷わなかっただろうか。どうあれやっぱり「奪われたくない」っていう感情が全面に現れていたような気がする。折り合いの付け方が少し、違うか。

更年期を迎えたタイミングだったら、今よりももっと「がん」が怖くて、予防的なものでも受け入れた可能性は高い。直前まで迷うのは変わらない気がするけれど、表向きの結論は早々にしていただろうな。

40歳のタイミングだったら、今よりもっとショックが大きかったろう。不妊治療をやめた直後なので、それが原因か?とか考えてそうだ。あのつらいつらい治療が終わったと思ったら、今度は更年期症状と向き合わなければいけないだなんて。それこそ感情に邪魔されて、周囲の反対を押し切ってでも残そうとしたかもしれない。直前で手術受けたくないとか、一番厄介な展開になりそうな気がする。ま、わからないけど。

どんな後悔が待っているのか

卵巣を取っても取らなくても、後悔はすると思う、とC医師は言った。どちらか片方の選択しかできないし、どっちがよかったかなど、比べようがない。誰も、両方を経験することができないんだから。

卵巣を取らなかった場合に起こりうる後悔は、はっきりしている。

卵巣がんになってしまったときと、年1回の定期検診の面倒さ。卵巣がんの発見のタイミングによって、後悔は大きく変わるだろう。がんにならずに死んでいけるとしても、定期検診をいつまで続けるかは悩ましい問題だ。80歳になってもあの診察台で足を広げることを想像すると、げんなりする。

一方でメリットは、更年期を自然に迎えることができること。医学的にはこの1点のみ、かな。更年期症状が重くなければホルモン補充療法もしないだろうし。

卵巣を取ってしまった場合に起こりうる後悔は…「卵巣がないこと」に起因する問題だけを考えると、むずかしい。

そもそも、卵巣に限らず子宮にせよ卵管にせよ、摘出手術を受けることになってしまった後悔は、失ったという揺るがない事実ゆえに、消えることが想像できない。悲しさとか悔しさの感情が癒えることはないと思う。それは卵巣が残ったとしても変わらないだろう。

更年期症状が重度だったとしても、自然にきてもきつい可能性はあって、摘出したことが理由とは言い切れない。女性ホルモンが影響すると言われる、心疾患、骨粗鬆症、脂質異常症…は、今後の生活習慣で補える部分がありそう。術後に骨折したからといって、卵巣を取ったから…なんて結びつけるとは考えにくい。コレステロール値はすでに投薬治療を受けていて、数値がさらに高くなったとしても、卵巣をとったこと自体の後悔につながるかと言えば、どうか。鍵を握るのはホルモン補充療法だけど、これも更年期症状の出方次第なので、想像はむずかしい。

一方でメリットは計り知れない。婦人科の内診を二度と受けなくていい。少なくとも子宮がん・卵巣がんにはならない。

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手術後の経過などの内診は含みません。

自分が経験者であってもなくても、自分以外の誰かの相談にのっていたとしたら?間違いなく、摘出に賛成するんじゃないか。やはりこの摘出のメリットは残すデメリットを上回る気がする。

卵巣は本当になくてもいいのか?

月経困難症…と見なされて、ジエノゲストを処方されていたときのことが、忘れられない。

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ジエノゲスト処方にまつわる話は、【11】ジエノゲストをやめていなければにまとめました。

生理を中心としたホルモンバランスの波に左右されない生活は、飲み始めた当初、とても快適だった。しつこく言われていた不正出血もほとんどなかった。でもしばらくしてふと我にかえった時、ご褒美レベルの楽しみにわくわくしていない自分に気づく。以前は何度読んでもきゅんきゅんした漫画にも、感情が動かない。主人とのスキンシップに興味がわかない。

びっくりするほど自分の感情が凪になった。頭がスッキリしているのでもなく、ただとにかくボーっとしている感じで、自分の心が不自然だった。ホルモンの分泌がここまで感情に左右しているのかと驚くと同時に、その不自然さは耐え難かった。その不自然さをうまく言語化できないけれど、強いていうなら、行動の原動力とかエネルギーとか情熱とか、そういうものが生み出せないような感じだった。

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このとき、ジエノゲストをやめていなければ、今、子宮内膜異形増殖症を発症していなかったんだろうけど。

更年期を過ぎ、卵巣が女性ホルモンを排出しなくなって表向きの機能を停止したとしても、存在理由はあるのではないか、と考えてしまう。ホルモン補充療法で外部から「栄養」だけを補ったところで、まかなえないことはあるんじゃないのか。それは、栄養をとじこめただけのサプリでは健康に生きていけないのと同じイメージ。科学・化学で解明されていないだけで、ないものとするには、説得力に欠けやしないか。

どっちの後悔なら耐えられるか

そこで思い出すのが、「やらない後悔より、やった後悔」。

今回でいえば、取らない後悔より、取った後悔。…そういう視点で考えてみれば、納得はできないけれど、受け入れることはできそうだ。後悔するときがきたときに耐えられそうなのはどっちかと考えたら、私にとっては「取った後悔」。

C医師の「どっちを選んでも後悔する」って話を聞いて初めて、「どっちが正解なのか?」を考えていたと気づいた。私は、正しい答えを出そうとしていた。でも正解はない=後悔しない選択はないと言われ、どんな後悔が待っているのかをこうして考え続けたことで、決められなかった理由が理解でき、絶対的な正しい答えが存在しないことを理解し、どっちを選んでもいいと受け入れられ、踏ん切りがついたんだと思う。

卵巣を残せたとして得られるのは、「とにかく残せた」という事実への感情的な安堵のみ。失ったり、奪われたりする悲しみが癒えることはない。そういう私の感情をなくすことは無理だろうし、残っていてもいいんだろう。

47歳、子宮内膜異型増殖症の記事

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