気づけばOKと言われる所以

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対面式のセッションを受けたときや、カウンセリング系の書籍の多くに見られるキーワード「気づき」。
気づいたからって何?と思っていた私の現在、なお話。

目次

気づきって、そもそもなんですか

気づいていること、って、引き寄せの法則にとてもよく似ている考え方だと思います。

例えば、「私は今日、黄色い車をたくさん見るぞ!」と思って外出すると、いつも以上に目に入る、みたいなことです。
今までは無関心だった「黄色い車」という認識=気づきを意識したので、目の前にそれが現れた時に知覚しやすくなった、という話ですね。

自分の中に、タネ(=「黄色い車」)をまけば、いずれ芽が出る(知覚できる)。
気づく、という行為は、このタネの存在を意識することと同じだろうと考えています。

何に意識をむけるのか、の、「何に」を明確にしよう、というお話。

比較するなり、引き寄せるなり、そのもの=対象が存在しないと、その事象は発生すらできません。

気づくことの意味

気づくことがタネ蒔きだとして、だから何?と、私は思っていました。
気づけただけで、一歩前進!みたいなことを、とてもよく耳にしてきましたが、私にはそれが理解できませんでした。

物体で考えた場合はまだ、わかります。
例えば、次のバーゲンセールでは、「春の明るめのスカートを買おう」と考えた場合と、「春の明るめのスカートを買おう。ミモレ丈がいいな、あまりたくさんふわっとしない方がいいかな。合わせやすい色がいいから、ベージュか、ピンク系がいいかな。持ってないからコットン素材もいいな。」と考えた場合。
どちらが理想的なスカートを見つけやすいでしょうか?

なんとなくスカートを買おうと考えているより、丈やシルエットや色や素材が明確な方が、そのものには早くたどり着けそうですよね。
お店にいったとき、条件にあうスカートを探すでしょうし。
これは、自分の欲しいものに「気づいている」状態です。

でも、これが思考の話だったら、どうでしょう。
例えば、「私は新しいことに取り組むのをためらってしまうな」と考えた場合と、「私が新しいことに取り組むのをためらうのは、小さい頃の母とのあの思い出のせいかもしれない」と考えた場合。

これで何か結果が変わるでしょうか?

私の場合は、明らかに「母のせい」にばかりフォーカスしてしまって、そもそも取り組みたい「新しいこと」に意識が向かなくなってしまいます。
結局、その場で、「母のせいか、母のせいなんだな〜」とブツブツ言ってるだけで、現実はまったく動きません。

気づいたからって、なんだっていうのよ!という疑問を持ち続けていました。

それでも気づいていることが大事

ある日、心理学を生業としている友人にぶつけてみました。
すると彼はひとつのたとえ話をしてくれました。

出かける前に鏡を見て、自分の髪が跳ねていることに気づいた場合、出先で誰かに「髪がはねてるよ」と指摘されても、すでに、知っていることなので、それほど慌てないだろう。

でももし、髪がはねていることに気づいていなかった場合、おそらくはびっくりしてしまう。
人によってはその日1日を楽しめないかもしれない。

違いはその程度のこと。髪がはねていることに気づいているかいないかで、目の前の現実は何も変わらない。気づくとは、そういう程度のことなのだそう。

髪がはねてる、と指摘された後、それをどうするのかはまた別の話。

でも、「髪がはねている」と指摘されたとき、気づいていたかいないかで、対応は変わってきます。
それは、気づいているといないのとの明らかな違い、だそうです。

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気づくこと=目の前の現実は何も変わらない、というのは、かなり重要な捉え方に思いました。

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