47歳、子宮摘出したら体がん1A期でした【16】手術日の長い長い1日

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どんな風に過ぎていくのか、手術前に私が一番知りたかったことをまとめてみます。

はじめに

このブログに記録用として記載する内容は、あくまでも私個人の経験です。気がかりなことはかかりつけの病院でご確認ください。参考程度にとどめてください、微力ですみません。

この記事の内容は…

手術室へ向かうまで

  • 5:50 看護師さんに起こしていただき起床、最後の飲水と、歯磨き
  • 6:00 以降、絶飲 手術着に着替える、持ち物準備
  • 6:30 診察室へ移動して浣腸、そのままトイレへ。腸の手術じゃないので完全に出切らなくてもいいらしい。
  • 6:45 点滴開始
  • 8:20 手術前のトイレ、スマホの電源を落として金庫へ。鍵をスタッフへ預ける。
  • 8:30 手術室へ移動 オペ看さんが迎えにくる。

なにかわからないけれど、ベテランなオペ看さんのお顔を見たら涙が溢れてきて。診断を受けてからはじめて泣きました。大泣きで全然涙が止まらず、名前などの質問に答えるのも一苦労。泣きながら移動して、泣きながら手術のベットに横たわりました。オペ看さんがタオルで涙を拭ってくれたところで記憶がフェードアウト。オペ看さんの優しさが沁みました。

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手術が怖いというより、あれは喪失の悲しみだった気がします。

手術後のICU にて

  • 手術室で目が覚める
  • 13:30 ICUに移動、家族への電話連絡あり

手術室で起こされたときは意識がぼや〜っとしていました。強めに名前を呼ばれて起こされます。早くしっかりと目覚めないと危険ですしね。この時もやはり、気管の管が抜かれたところは覚えていませんでした。

目は覚めていましたが、ICUへの移動はうつらうつら。意識が完全にはっきりしたのは、ICUに入って時計を確認したあたりからでした。

痛みがあることを確認してから、痛み止めの点滴がスタート。1回入れたら6時間は開けないといけないようで、追加で足したりはしてもらえないようでした。

なかなか薬が効かないなと思ったら、手術中、左手に刺された点滴の位置が微妙で、手首の角度によって点滴が入っていかないことが判明。こういう感じ、と角度に気をつけるように言われました。

途中で一度、部屋の移動がありました。それまではカーテンで囲まれたオープンな(落ち着かない)スペースだったのですが、壁に囲まれた部屋へ。病室のカーテンに囲まれた空間に比べると圧倒的に広く開放的で、手術後ここで休めたのが本当にありがたかったです。もちろん両サイドに患者さんはいたと思いますが、きちんと距離を保って隔離されている感じで、心が休めました。唯一、時計が見えなくなって、時間感覚がまったくわからなくなったのはしんどかったです。

掻爬手術の時は苦しくて仕方なかった酸素マスクの空気がひんやりとしていてすごく心地よく、もっと吸っていたかったのですが、家族が面会にきたタイミングで外されて、ちょっと残念でした。さすがにもっと吸いたいとは言えませんでした。

この頃とにかく気になったのが、体の中で空気が動いていて、ポコポコ音がしていたことです。そんなはずはありませんが、血管の中に空気が入ってしまっているような感覚が怖くて、看護師さんに「なんか空気が動いている…」みたいな話をしました。すると、どうもえらい教授さんに連絡してしまったようで、教授回診が。

息をすると体の中で、ポコポコ空気が動く話を自分でしてみたら、術野を確保するためにガスを充満させる名残と説明されて、納得しました。そういえば、手術の説明書に書かれていたなと思い出しました。

が、まさかこんなにもポコポコするとは思いませんでした。

その後、家族の面会の最中に、担当医(執刀医)も様子を見にきてくれました。緊急の患者さんがきたら今日中に病棟へ戻る可能性もありますが、原則明日の朝戻りますとのことでした。また、足を動かしてもいいし、寝返りうってもいいと言われたので、それ以降、積極的に動きまくりました。膝を立てるのはわりと容易でしたが、やはりお腹周りはうまく動きません。麻酔で感覚がなかったのかもしれませんが、横を向くと、何かがずるっと流れて傷に障るような感覚もあって気持ち悪く、ちょうどいい状態がほぼありませんでした。

ベットのせいかもしれませんが、真っ直ぐ上を向いて寝るには、腰が痛過ぎて…。脱力した状態だから体重がもろに背中側に圧をかけているんだろうと思っていましたが、本当のところはわかりません。

1時間おきくらいに、血圧と体温の測定がありました。途中でうっすら吐き気があって、吐き気どめを入れてもらった記憶があります。

うとうとして、す〜っと眠りに入れそうになると、何かがピコンピコンなり出して起こされる、というのを何回繰り返したかわかりません。ピコンピコンなり出したら、鼻の穴を広げて大きく息をすると音が止まるので、おそらく酸素量の関係だったのだろうと推察します。

眠っていていいのか、起きていたほうがいいのか、ICUでどう過ごすのが一番ベストなのかを誰も教えてくれないのが、悩ましかったです。

夜勤の看護師さんに変わったあたりで、意を決してタオルをお借りしました。もともと目元が覆われていると眠りやすい習慣があったので、目にかけました。目が覆われているだけで休まるんです。部屋が明るくてもおかげで耐えられました。

おそらくは22時消灯で、ようやく部屋の明かりが消え、深く眠れる瞬間も増えました。深夜帯は、心電図などのモニターを止めてくれたようで、さらにぐっすり眠れました。

深く眠って起きた時に、一度だけ、お腹がぺたんこになっていて、内臓はどこへ?!と、とにかくびっくりしたのを覚えています。ガスが抜けたってことだろうと思いますが衝撃的でした。寝汗ぐっしょりで目覚めるタイミングもあり、もう更年期症状なの?と驚いてみたりしましたが、手術の傷による熱かもしれません。

ICUの看護師さんに感謝してます

ICUの看護師さんがとにかく優しかった。緊急性の高い患者さんを看護してくださっているからなのかわからないけれど、声かけとか配慮とかが、なにかとにかく沁みました。心遣いが本当に沁みました。救われる思いでした。術後の心のモチベーション?を正常に保っていられたのも、ICUの看護師さんたちのおかげでした。本当にありがたかったです。

病棟へ帰る準備

翌朝6:00くらい?に起こされて、採血をしました。今から少しずつ頭を上げていって、めまいなどがなければ歩いてみます、といわれました。どうやって病棟に戻るのか疑問に思っていたのでなるほどと思いましたが(歩ければ車椅子移動が可能です)、まさかICUで歩行確認するとは思いもしませんでした。

5分おきに少しずつ、ベットの角度をおこして立位に近づけていきます。眠気とか疲れとかもあって、めまいなのかだるいだけなのかよくわからず、どうですか?と聞かれても答えられず悩ましかったです。

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たぶん「大丈夫です」と答えていたと思います。

酸素ボンベみたいなものに手をついて立ってみるのですが、寝返りをうつのにバカみたいに腕を酷使したので、腕をつくのが痛い痛い。でも腕をつかないと危ないし歩けないし。麻酔や食事などの関係もあるのでしょうけれど、それにしても、たった1日伏せっていただけで、こんなに歩けなくなるものなのか…と驚くレベルで体が動きませんでした。幸い、全然余裕で歩けてしまったのは、寝返りや立膝などで動きまくっていたことも関係あるかもしれません。

もう少し歩きますか、戻りますか?と聞かれた際は、無理しなくてもいいかと思って「戻りたいです」と伝えて、歩行練習はほんの少しになりました。とにかく歩けたので、9:30には病棟に戻りますと言われました。その時点で7:30くらいだったと記憶しています。

ベッドに戻って、動脈につながっている点滴の管を外しました。5分間押さえ続けてるだけでしっかり止血できることに感動しました。温タオルで体を拭き(前面は自分で)、患部を看護師さんが洗浄してTパンツからオムツに交換(オムツ使えるんだ!と驚き)しました。

どのタイミングだったか忘れましたが、「水はまだ飲めないけど口ゆすぎますか?」と聞かれたのでお願いしました。これは一体なんなんだ???と思うほど、今までに体験したことがないくらい、口の中が酸っぱくて驚きました。

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この日1日中、歯磨きをしても取れず、おかゆも酸っぱかったです。

ICUから病棟に戻ったことを、看護師からご家族へ伝えることもできますがどうしますか?と聞かれましたが、面会時間までに連絡がつけば問題なかったので、病棟に戻ってから自分でしますと伝えました。

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スマホは金庫の中なので、鍵を戻すようにICUの看護師さんから病棟の看護師さんへ伝えてくれ、かなり早いタイミングで戻ってきてありがたかったです。

車椅子に乗って、病棟へ戻りました。

病棟に戻った後(翌日)

時間が早かった…というより、看護師さんの入れ替わりのタイミング?なのか忙しい時間だったみたいで、え?もう戻ってきたの?的な反応を受けながら病室へ向かいました。

歩けましたと報告を受けた病棟の看護師さんが、え?もう歩けたの?みたいな反応をしつつ、それならここから歩いてベッドへと促されたり、なにやらざわざわしながらベットへ。

ロボット手術による褥瘡予防に、背中全面からお尻にかけて低反発のマットみたいなのを貼られているのですが、ICUで着替える時に外されていなかったことに気づき、その場で外されました。

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こういうときは、潔癖じゃない自分でよかったなと思っちゃいます。たぶん、人によっては外した跡をタオルで拭いて欲しいだろうなと思ってしまいます。

このすぐ後に尿カテーテルが外されました。看護師さんにショーツを履かせてもらうのが恥ずかしかったので、おむつのままでいいですと答え、後でトイレで自分で履き替えました。そのタイミングで手術着からパジャマへ着替えたのか…?忘れてしまいました。

この日は1日、尿量を測る必要がありました。最初の排尿時は、残尿チェックで残りすぎて、導尿の処置があり、は、恥ずかしかった…。ので、2回目のときは意識してじっくり出し切って残尿チェックに挑み、無事合格となりました。 

病棟に戻ってから初めて、自分のお腹をみまして、ドレーンが本当に入っていないことを目で確認しました。これなら本当に4日後には退院になりそうだと思いました。

この日は点滴が3パックほど続きました。寝る前には終わっていたと思います。でも点滴があったので、その棒を支えにして歩くことができました。点滴をしていたのに水を飲みまくったからか、通常2〜3時間で貯まる膀胱が1時間おきくらいにトイレにいき、500mlくらい排尿したりしました。

病棟に戻ってきたことで、手術が終わったんだなぁ〜という実感が湧いてきました。

余談

フル充電で電源を落としていたのに、金庫から取り出したスマホの電源を入れたら、まさかの充電が空っぽ。動きづらいのにスマホの充電をしないと連絡できない事態に…。幸い、充電バッテリーを持ち込んでいたので(コンセントからするよりも急速充電してくれるから)、充電コードをベットの上の方のコンセントにさして〜みたいな作業をせずに済みました。

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それにしても、なんで?もうバッテリーが古いってこと?

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