LUMIX G100Dが選択肢として私に登場したことで始まってしまった、思考の逡巡。ChatGPTに吐き出した内容をまとめておく。今までの記事ですでに書いたことをまとめたようなものだ。誰かの参考にはならないと思う。これは文字通り「未来のわたしに伝えたいこと」です。あしからず。
現状
私は現在、Nikon Z30を使用している。レンズは NIKKOR Z DX 24mm f/1.7 と NIKKOR Z DX MC 35mm f/1.7。加えて、衝動的に VILTROX AF 28mm F4.5 AIR Z を購入した。でもこのレンズは全然寄れなくて、撮影体験としてはスマートフォンに近く、私には物足りなかった。28mmの画角を試す意味もあったけど、叶わなかった。屋外向きの、広い空間で威力を発揮するレンズなんだと思う。
550600購入前に、最短距離35cmという情報は把握していましたが、それが自分にとってどのくらいなのかという想像が足りていませんでした。
カメラ歴
オリンパスのコンパクトデジカメからスタートさせた趣味カメラは、やがてフィルムカメラで撮る方向へ向かう。
フィルム時代は Nikon FM2、その後 D5100。Nikon FM2も重たかったから、そういうものだと思ってはいたけれど、D5100の重さに耐えられず、やがて誕生したスマートフォンでの撮影を経て、「やっぱりカメラを扱いたい」と、RICOH系を3台ほど約8年間使った。現在のZ30へは2024年に移行した。
- 2012年 Nikon D5100
- 2017年 GXR A12
- 2019年 GR II
- 2021年 GR III
- 2024年 Nikon Z30
Z30の良さと、携帯性という現実
Z30ではじめてシャッターをきったときの感動は大きかった。でも、あれから1年経過してなお、GRの携帯性を思い出さずにはいられないでいる。
「カメラはカメラメーカーのものを選びたい」という友人の言葉が、私には「選ぶべき」として残った結果、「自分にはニコンしかない」と長く思い込んできた。
GRを使ってみたかったのは、なんだかすごくいいカメラだという噂が耳に届いていたから。その小ささに全部がつまってる感じがたまらなく魅力的に見えた。
GR時代も手放せなかったAF-S DX Micro NIKKOR 40mm f/2.8Gが手元にあったため、GRからの乗り換えでZ30を選んだのは理解できる。結局FTZIIまで導入しているし。
外見で候補にあがったzfcをほぼ瞬殺して手にしたZ30は、Nikonの携帯性ではトップクラスだ。一方で、Z30はGRと比べると携帯性では到底かなわない。Z30を使えばつかうほど、かなわないことを痛感していく。
そしてようやく前提から考え直すことを思いつく。カメラはカメラメーカーのものを選ぶべき?どうしてカメラメーカーでなければダメなのか?当時の友人にはあったろうが、少なくとも今の私には答えがない。
量販店でさまざまなカメラを触ってみた。そのとき自然に惹かれたのが LUMIX G100D だった。本体はコンパクトで小さく、20mm F1.7のパンケーキレンズと組み合わせれば、もはやGRのミラーレス版のようではないか。
LUMIX G100Dの逡巡
だが同時に抵抗も生まれた。もしG100Dに乗り換えるなら、Z30関連をすべて手放す必要があり、後戻りはできない。気軽に機材を乗り換えたくない。乗り換える行為は気が滅入る。これまでの選択を失敗と認めるようなものだから。



手放すのは、資金がないからです。
G100Dへの乗り換えでやはり考えてしまうのが、マイクロフォーサーズ(MFT)。APS-Cより表現力が劣ると言わ、ボケや階調の話もよく目にする。私がメインとするWebやSNS用途では、実際にそこまでの解像度は不要だと理解している。
Nikonの良さを「そのままの色を写しとってくれる」と説明する人がいる。補正前提の場合にとてもいい、と書いてあった。幡野さんの書籍に感銘を受け挑戦したが、RAW現像はどうも、荷が重い。JPGをPhotoshopでちょろっといじるくらいでいい。LUMIXの色を味わったことはないけれど、PHOTOHITOなどの作例を見させていただく限り、そこまで自分の好みと離れている感じもしない。
GRを使っていた頃、私は次第にカメラを持ち出さなくなり、スマホでも撮らなくなっていた。なぜ、写真そのものから距離を置きたくなったのだろう。GRは軽く、速く、気楽に撮れてしまう。最初は心地よいが、長く続くと撮影が日常動作になり、「カメラで写真を撮っている」感覚が薄れていったのかもしれない。広角というサイズがネックで飽きがきたのかもしれない。
G100Dの気楽さはGR寄りだ。GRのときに起きた「カメラで写真を撮っている」感覚が、いつか失われてしまうのではないかという怖さもある。
写真というより、カメラとの向き合いかた
Z30を手にしている自分をイメージすると、「カメラマン」ぽさを感じる。カメラマンぽさ、という存在感を自分が生み出してしまうことに抵抗を感じる。
写真は好きだ。カメラで写真を撮りたい。でも、カメラマンぽく見えるのは望むところじゃない。風景に溶け込み、存在感のない人間として生きたい。
はじめてZ30を構えてシャッターをきったとき、「うわ〜!」と思った。撮影しているという感覚だった。少し慣れてくると、「カメラで撮影している人」という見え方と隣り合わせになってきた。
それだけ、カメラそのものがもつ存在感が大きいのかもしれない。まったく仮の話だけれど、仕事場にもって現れたら、Z30の方が信頼に繋がりそうだ。ちゃんと撮ってくれそうとか、ちゃんと撮れそうとか、カメラから醸される雰囲気が違う。



G100Dと比べて、の話です。
GR時代、タリーズのフチベアフルをきっかけに始まった、いわゆる「ぬい撮る/ぬい活」。現在は、おがわこうへいさんのアニマルフレンズでリスタートしている。ぬいを撮るという目的が、写真を撮る目的を作ってくれる。記録用というより、記憶用写真という意味を、与えてくれる。気がする。こういう目的で撮るのに、Z30のカメラマンぽさって、不釣り合いじゃない?



実際はぬいぐるみではなく、フィギュアです。
これとは別の部分で、「作品(物撮り)をきちんと撮れる余地を残したい」という気持ちがあり、自分で可能性を閉じてしまうかもしれないことに不安を感じる。APS-Cにとどめておいた方がいい理由が、なにかありそうな気がして。
どうしてこういう難しいことばかり考えてしまうだろう。
今日はここまで。









