小学生で『りぼん』を読み始めて以来、どの作品を読んでも、ずっと面白い。自分の年齢があがるにつれて、掲載される媒体もかわっていって、ずっとピタッと寄り添ってくれる、一条ゆかりさんの作品。
最近になって、大人になった有閑倶楽部の人々について読めると知って購入したのが、こちら。
短編まんがが載ってるのかと期待して購入したんだけど、そもそも一条さん、腱鞘炎などの体調を鑑みておやすみしてるんだしね…。文章での解説が多かったけど、それでも読む価値はありました。
こちらについてはまた改めて記事にしたいです
一条ゆかりさんの琴線ことば
そこでふと、引っ張り出してきたのがこちらの雑誌。
当時は何気なく読んでいたんだけど、ロングインタビューがあまりにも響いて。琴線ことばをメモしていたんでした。
私ね、ひがむ・妬むということが人間として一番いけないことだと思っているんですよ。そういう気持ちになりかけたら、それを力に変えなければいけない。「あの人の指輪、素敵。どうして私にはないの?」とひがむのではなくて、事実は受け止めたうえで「いつかあの指輪よりもいい指輪を買うわ!」と力に変換する。ひがむと自分の価値が下がるでしょう。
〈人を落とすんじゃなくて/自分が上がるのよ〉プライド
小金を持つことは大切なんだけど、それは、持っていないといけない「策」なの。だからもう一つ何か目標を持った方がいいよ。自分で自分に自慢できる何かを手に入れるという目標。…「役に立つ女になれ」。
人間、ヒマだとろくなことがないのよ。
これからの私をジャッジするのは、私。しかも私のジャッジにはえこひいきがないのよね。「最低じゃん、この女」って私ががっかりしないように、私をちゃんとしなければと思う。人生で一番怖いのは、自分で自分を嫌いになることだからね。
「大事にして!大事にしたい!」と叫べる幸せ
一条さんの著書(エッセイ)やインタビューを読んでいると、「自立した女性たれ」という共通したメッセージを感じます。そう感じるってことは、自分の甘え加減が浮き彫りになっている証拠。
自分で自分のご機嫌をとれ、って、誰かの著書で読んでいたけど、結局これが一番できていない。自分で自分を大事にできない代わりに、周りの人に、私を大事にして!大事に扱って!って叫んでいる…気がする。
別冊図書館戦争で、柴崎が最後に、「大事にして!大事にしたい!」と叫ぶ。大事にしてほしいだけじゃなく、自分も大事にすることがしたい、と思えるのが、うらやましい。
例えば、飼った動物の死を悲しんだ経験のある人は、きっと「大事にする」ってことの本質が心に育っている。子育てをしていれば、もっと深く根付いているだろう。
ファブルでも、ボスに「生き物を飼え」と指示される。飼ってみたインコを「大事にしたい」と思う佐藤明の言葉で、海老原は明を信じると決めてた。
共感に経験の有無は関係ないと木坂さんは言うけれど。経験がすべてと思う私にはまだ、それがよくわからない。自分から能動的に、何かを大事にする経験をしないと、この先もっと苦しくなるような気がしている。